うつ病発症者の記録

実際にうつ病に発症した私の状況、感情、体調などを記録します。

うつ病に発症した人へ

 これまで実際にうつ病にかかった私の事例を紹介しましたが、今回はうつ病にかかった後にした方がいいことを記します。

 

自立支援医療制度

 まず紹介したいこの制度。精神病にかかった人のための制度です。こちらを利用すると、医療機関にかかる際の診察料が3割負担から1割負担になります。かなり大きいです。必要なのはお住いの自治体ごとに指定されている診断書を主治医に書いてもらうことです。医師から直接この制度があると言われない場合もあるので、「自立支援医療という制度があると聞いたのですが」と相談してみましょう。最低でも自分がこの制度に該当するかどうか教えてくれるはずです。

 

・リワーク制度

 こちらは精神病にかかった人に対して、就業訓練を行う制度となります。仕事内容に応じてデスクワークやPC作業など簡単な作業を行います。開始時間終了時間も病気の重さや会社の就業時間に合わせてある程度柔軟に対応してくれます。私は少し利用した後主治医との相談の上心に負担をかけない方がいいという結果となったため、最後まで利用することはありませんでした。しかし、何か用事が無いと自分から動くのが難しい人も多いと思いますし、この制度を最後まで利用すれば働き続ける自信になることは間違いありません。

 

障碍者手帳

 重度の障碍者であるならば取得したほうがよいでしょう。私は幸いにも重度では無かったので取得しませんでしたが、障碍者手帳を取得すれば各種税金の控除や、公共施設の利用が割引になったりします。転職する際にも障碍者枠での応募ができ、会社側も障碍者であることを配慮した仕事内容にしてくれることでしょう。

 

 

今思いついた制度について書きました。何か思い出したら追記するかもしれませんししないかもしれません。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

うつ病発症者の記録4

徐々に気分が上向いてきたこの記事。もう少しだけ続きます。

 

・2度目の復職に向けて

 復職に向けて生活習慣の改善などを行っていきましたが、問題は残っていました。それは、睡眠の質が一向に良くならないということです。寝る時間に関しては睡眠導入剤を服用することで眠ることができたのですが、浅い睡眠を長時間とらないと行動できないことが多く、通常の勤務体系に耐えられる生活習慣に中々戻すことができませんでした。

 この時期には精神的にはもう快復しており、問題はこの睡眠だけと感じるくらいになっていました。最終的に生活習慣を完全に戻すことはできず、休職期間満了した2019年3月から復職に向けて2月から一人暮らしの生活を慣らしていくことになります。

 その後復職向けて産業医面談などもこなし生活していくのですが、精神的には快復しているはずなのに会社に向かうと気分が悪くなることに気付きます。そうして、「今の会社で働き続けることは不可能である。会社に拒否反応を起こしているのか働くこと自体に拒否反応を起こしているのか知りたい。」と考え、退職を決意します。

 そして休職期間の満了と同時に退職しました。

 

・退職後

 退職後の生活についてはその他の理由で退職した人退職せざるを得なかった人と大きな違いは無いと思います。あえて言えば1か月程度何のストレスも無い状況で転職も考えず気楽に過ごすように心がけたくらいでしょうか。

 現在はハローワークに登録し、再就職先を探しながら焦らないように過ごしています。

 

 

 長々と読んでくださりありがとうございました。あくまでうつ病を発症した人の一例としてこのような事例があるという風に考えていただければ幸いです。また、初めにも書きましたが、この記事を読み、早めに心療内科へ受診したりうつ病の兆候を感じ取ることでうつ病にかかる人が少しでも減ることを願います。

 

以上

うつ病発症者の記録3

マイナス感情ばかりの記事を読み続けてくれてる方、ありがとうございます。まだ続きます。

 

・2度目の休職

 2017年9月に再度休職し、すぐに帰省することになりました。そして、前回と同じ病院にかかるのですが、医師が別の医師に変わりました。こちらの医師が本当にひどく、全くこちらの話を聞いてくれませんでした。今回は私にモノを考えることができる状態でしたので、2回の診察を受けた上でこの病院はダメだと思い別の病院を探すことにしました。

 しかし、自宅側の主治医からの紹介状はすでにその病院に渡しており、紹介状無しで初診を受け付けてくれる病院はほとんどありませんでした。その中で、ある一つの病院で診察を受けることができました。

 休職中の最大の幸運はこの病院を見つけることができたことでしょう。その病院の先生はこちらの話を親身になって聞いてくださり、薬の効能や副作用なども詳しく説明してくださるありがたい先生でした。初診時は他の患者さんには申し訳なかったですが1時間以上話していたと思います。

 そして、その先生と話し合いながら薬も何度も効き目や副作用を調べながら調整し、徐々にですが気分が快復していくのを感じました。また、同時にその先生からうつ病だけではなく適応障害の可能性が高いということも伝えられました。適応障害というのはある特定の状況に対して強いストレスを感じるというものです。うつ病は気分の上がり下がりが激しいことが多いのに対し、適応障害は気分が下がっている状態が長く続くという話を伺いました(詳しいことはわかりません)。私の場合は気分が上がることがなく、ずっと下がっている状態だったためそのように診断されたのだと思います。

 2度目の休職は長期間に及びます。薬を何度も何度も調整し、徐々に良くなってきているという中で、ついに休職期間の満了が近づきます。2018年12月に上司および総務部長を交えて主治医の診察を受けることになりました。

 

・上司、総務部長を交えての診断

 実はその時、私は退職するつもりでいました。休職期間に退職するか復職するのか本当に悩みましたが、その会社の仕事を続けていく自信がなかったので退職意思をそのときに上司にも伝えようと思っていました。また、事前に主治医にも退職意思を伝えていました。

 しかし、上司を交えた診察当日にまず主治医と私の二人で診察した際に、もう少し薬でよくなるか見てそれから退職を考えてもいいんじゃないかと打診されました。先生も考えてくださり、これからの薬の影響次第では復職に間に合うだろうという判断をしたのだと思います。

 私も復職できるのであればしたいと考えていたので、退職の判断は後に遅らせることにしました。上司、総務部長には私がどのように考えていたのか、薬の調整で様子を見たいという旨など、私の口からは伝えづらいことも含めてすべて先生が伝えてくれました。

 そのうえで、これ以降復職に向けて生活していくのですが、復職と退職の間で揺れている時期より心が非常に軽くなりました。このことで、悩んでいる状況がストレスとなり快復の妨げになっていたことに気づきました。これ以降、精神的な負担が軽くなり、劇的に快復していくことになります。およそ1か月で復職できるのではないかと考えることができるようになるまで快復しました。

うつ病発症者の記録2

前回の記事から続けて見ていただいてる方、ありがとうざいます。まだまだ続きます。

 

・休職中の生活

 2016年9月から休職することになったのですが、その後すぐに実家に帰省して休養を取ることになりました。実家では特筆するような生活はしていなかったと思います。幸い、食欲に関しては問題なかったので体調面の不良が起こることもありませんでした。

 問題は帰省中にかかっていた病院でした。そこの先生がかなり楽観的な方で、こちらの話を聞かず普通はこうだから君もこの状態のはずだといった様子でまともに診察を受けた記憶がありません。処方される薬も休職前から処方されている薬をそのまま出すだけで私の状態に合わせて調整を行うということもありませんでした。しかし、感情を失っている私にはそれがおかしいことにも気づきませんでした。

 そうして2016年11月末頃だったと思います。ついに仕事へ復帰可能という診断をされました。その時の私の状態としては、感情は多少出るようになり、自分で考えることも少しはできるようになってきたという程度のものでした。しかし医師が復帰可能というのだから大丈夫なのだろうと思い、不安を感じながらも思考放棄して復職に向けて動き始めました。

 11月に復帰可能と診断され、12月は自宅に戻り一人暮らしの生活を慣らしながら産業医との面談も受け、1月から復職ということになりました。この間も自宅で生活する分には問題なかったのですが、産業医面談のために会社に向かう時には吐き気を感じるという状態に変わりはありませんでした。そのことも産業医および上司、自宅側の主治医にも伝えましたが、実家側の主治医の判断である復帰可能というものが優先され、予定通り2017年1月に復職しました。

 

・復職後の生活や仕事

 復職後の仕事に関しては、時短勤務や残業の不可など、配慮をしていただいた上で働いていました。仕事内容に関しても簡単な作業から慣らしていって徐々に普段の仕事に近づけていくというものでした。

 しかし吐き気に関しては、平日は毎日出社前および出社中に感じていました。休職前より頻度は減り実際に嘔吐することも少なくなったとはいえ、毎日吐き気を感じるというのはうつ病が治っていないと感じるには十分でした。

 そのような不安を抱えたまま仕事をこなしていましたが、いつ頃からかは忘れましたが更に私に異変が起こりました。それは睡眠を満足にとることができなくなるというものでした。

 決まった時間に眠ることができなくなり、眠れても眠りが浅いのか疲れが全く取れないといった状況で、仕事を続けていました。

 その中で、私が仕事中に先輩に対して言ってはいけない言葉を言ってしまいます。先輩の「最近調子どう?」という私の状態を心配する問いに対して「毎日死にたいと思ってますよ」と答えてしまいます。

 実際、そのときは自殺する気力がなかっただけで本当に毎日死にたいと思っていましたし、仕事終わりに自宅に帰ってからは部屋の隅にうずくまって泣いたり泣かなかったりという生活でした。今の状態がマズイと考えた私は、休日の少し気分の上向いているときに、包丁などの刃物やロープといった自殺に使えそうなものを簡単には取り出せないところに片づけました。自殺したいと思っても取り出して実際に自殺する気力は起きないだろうという考えのもとでした。

 また、それと同時に自殺衝動を抑えるために自傷行為を行うようになりました。具体的には顔や体を本気で叩いたり、頭を床や壁に打ち付けるといったものです。そうした行為を行うことで、「死ななくてもこんなに痛いのだから自殺したらもっと痛いのだろう」と考え、自殺衝動が治まるのを感じました。

 今考えれば、この時期が一番辛い時期だったと思います。感情も戻り、自殺願望から自傷行為を繰り返す日々。満足に眠ることもできず、精神的にも身体的にも追い詰められていきました。

 そうして、職場で「死にたい」と口にした翌日には上司と総務部長と面談し、その翌日には再休職というスピード感で再び休職することとなりました。

うつ病発症者の記録1

・はじめに

このブログは実際に私がうつ病を発症した際の状況や感情の起伏、体調、経過などを記録するために作成しました。

長文になるかと思います。また、楽しい内容では無いと思います。当時を思い出しながら書いていくので、時系列や当時の状況などが異なる可能性があります。

しかし、うつ病に悩んでいる人、うつ病になるかもしれない人の一助となればと思い、1発症者として発症してから現在までの記録を記します。

よろしければお付き合いください。

 

うつ病の発症

 2016年7月に心療内科にかかり、うつ病と診断されました。しかし、うつ病の傾向はその前からありましたので、そこから書き始めます。

 始めに自分の異変に気付いたのは2016年1月頃だったかと思います。それまで仕事でそれなりに忙しく働いていたのですが、この頃たまにですがある異変を感じました。

 それは、真っ直ぐな道がうねっているように見えるというものです。特に仕事終わりの疲れている状態、日をまたいだくらいの遅い時間、暗く細い道という条件下で起こることが多かったように思います。

 そのときは最近忙しいしこんなこともあるんだなー程度に楽観的に考えてました。実際、毎日起こるわけではありませんでしたから。

 SEを生業としていた私ですが、2016年4月についに開発していたソフトを客先に納品することになりました。まだ仕事は残っていましたが、一区切りつくという段階ですね。問題はその客先への納品が終わった後に起こりました。

 そのとき、私自身に自覚は無かったのですが、周囲から私の変化について指摘されました。曰く、顔色が悪い、表情が無くなったというものです。うつ病に発症したのはこの頃だと思います。自分では全く自覚は無かったのですが、当時仕事をしていた別現場から自社への異動を言い渡されました。

 自社に戻ってからは上司と面談を行ったり、作業量や作業内容を調整していただいたりと、それまでの仕事と比べればかなり楽に働いていたと思います。その上司の面談の中で産業医と面談すること、産業医の推奨する心療内科を受診することを勧められました。産業医との面談は予定が合わず行いませんでしたが、心療内科の受診を7月に行いました。ちなみに予約をとったのが6月でしたので、予約から受診まで実に1か月以上かかりました(これでも産業医の推奨する心療内科の中では最速でした)。

 その受診結果でうつ病と診断された訳ですが、前述した自社に戻ってから受診までの間に更に異変が起こりました。それは、毎朝出社前に嘔吐してから出社するというものでした。この頃から吐き気には常に悩まされており、起床後すぐ嘔吐、会社に着いて嘔吐、仕事の合間にも何度か嘔吐。ときには出社中にも嘔吐していました。仕事終わりに嘔吐することはなかったので恐らく会社に行くという行為、働くという行為に対して拒否反応がでていたのだと思います。

 しかし、それでも私は全く辛いと思っていませんでした。辛いと感じる感情さえも無くなっていました。忙しくて趣味の時間も取れず、休日はずっと寝ているような生活の中で、空いた時間に行っていた趣味(ゲーム、アニメ、音楽など)も作業的にしているだけで楽しめていませんでした。

 ただ機械的に朝起きて出社し仕事をして帰って寝るというルーチンを行うだけの生活を2か月程でしょうか、続けていました。その当時は本当に辛いと感じていませんでした。

 そして、心療内科を受診した結果うつ病と診断され、2016年9月から休職することになりました。